時の流れ
結構ながくー生きてきた。
自立した生き方ではなく、いつもまわりに助けられて来たようなー
人より試練と呼ばれるものは多かった気がするがー
いつも、誰かが助けてくれた。
そして、誰かが四面楚歌の時ー私は底力を出した。
たとえば父が末期がんでホスピスにと言われたときー
最後まで大学病院においてもらえるように
訴えた。本当はーでも人はー頑張ってる人を
応援したい気持ちが心の奥底にあるものだからー
本当は迷惑をかけたのかもしれないがー
看護師さんたちが泣いてくださってー
色んな意味でー私はー病院が好きだ。
仕事をしておられる医療関係者は、どこの病院でも
どんな人でもー生きておられる人だと思う。
生活があり、家族もおられる。
コロナの期間入院したときは、家族の面会も禁止で
2ヶ月ーシフトもなく生活だった。
死にそうになっての入院なのでーまわりも
命の危険ある人しか入院できない状態でコロナの風評で
医療関係者は人手不足ー患者を見舞う人はー面会禁止
売店にもーコロナ禍で行けない。
病院内も感染予防で動き回れない。
ストレスはーみんなにある。
そんな時ー人間の本質が出るような気がする。
ICUで寝たきりを経験したあとはー尿の袋をもってもらいながらー平行棒につかまりながらのリハビリー歩ける保障もなくー痛みを伴う先のないリハビリーしたくないよね。
それでもー車椅子生活もありがたかった。座ってて移動させてもらえるからー座っててー空を見てた。
流れる雲ー時間の流れでー空の色がかわる。
時の流れー時間の流れはーかわる。
仕事をしてるときはまわりを見る余裕もなかってけどー
やっぱり、空を見るのが好き。
家でも病院でもー空は見える。
不眠とあせりから自分を取り戻す時④再送
不眠とあせりから自分を取り戻す時④
ご期待にそえなくて申し訳ないが・・・まだ、全く、不眠症ではない。
大学受験をして、古巣の門戸厄神の駅にある「保育科」のある大学に通う。
片道2時間半・・・寮は、遠方優先のため。
姉妹校にお隣の神戸女学院・・・緑の関学・・・現在は、大学名は「関学の保育科?」
テニス部に入り・・・6回生までいらっしゃったので・・・
帰りは、門限の9時過ぎるので・・・ほとんど、友達の家・・・
そして、友達の通う、いろいろな教会に・・・。
小さなころから、迷子になっても・・・
いろんな方の親切で生きてきたので、
本当に、人生経験は・・・。
ある友達のお父さんは「元、中日ドラゴンの選手」で・・・
(当時、有名な人だとは知らなかったが・・・)
共通の友達の結婚式が、ロイヤルホテルであるときは
着物を着付けて送り迎えまでしていただいた。
背の高い、かっこいいお父さん。ありがとうございました。
卒業して・・・教会付属の幼稚園に就職して・・・
土曜日休みで…日曜・・・csと教会。
ある意味、1番、修養会やバザーも経験させていただいた。
園長先生はじめ、本当にありがとうございました。
今でも・・・倒れる前は・・・先輩方とお会いしてた。
結婚と同時に退職して・・・新婚旅行の見送りに、空港まで、
親友も来てくれた。
親友とも、同級生と一緒に過ごし・・・
長女の出産で実家に戻った時は、私の家の最寄り駅近くで
同窓会をしてくれて、新生児の母乳の合間に顔を出した。
本当に・・・楽しかった。